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​青く寄せて

 夕日に照らされて、埠頭に大きな船が着く。私がマークンメイルの石畳を初めて踏んだ時も、空は今と同じような色だった。

 船からは、よくもまあそんなに積み込んだな、と思うくらいたくさんの人が降りてくる。いくつもの鞄を背負い、抱え、引っ掛けてよたよたと歩いていく少年を見る。今日という日を待ちに待って、どこか遠いところから周到に準備をして来たんだろう。何かをやり直すために、何かを知るために、何かを成し遂げるために。けれど、荷物は苦もなく持ち運べるくらいにしておくのが一番良い、と思う。それは肩に掛けたり、手に提げたりするものに限った話じゃない。

 

 グラスに口を付けると、爽やかなレモンの香り。注文したのは自分だけど、あえて言うならこの酒は夕の光とは合わない気もする。この大陸へ来るよりも前に私がいた小さな島では、この果実は朝の象徴だった。薄く切って蜜漬けにしたものを、これもまた薄く焼いたパンに載せてよく食べたのを覚えている。どこの宿でも、日が昇りきる頃になると主がそれを振る舞ってくれた。獲物が少なく、頼みの楽器も失くしてお腹を空かせていた私にはありがたかった。きっとこの町のどこか、もしかしたら今しがた降り立った人びとの中にも、あの、問答無用で叩き起こされる代わりに素敵な朝食をいただける島を故郷とする人がいるだろう。

 

 私のテーブルの後ろで静かに話し込んでいた冒険者らしい四人が席を立つ。その内のひとりには見覚えがあったけれど、名前は思い出せない。腰に吊るした短剣の鞘の透かし彫りが綺麗だ。彼女もいつかの日に、私がそうだったように、この港から旅立ちの塔に向かっていったのかもしれない。立派な装備を纏ったフェルカがいくつかのエーテルをカウンターに置き、店を出ていく。新天地という触れ込み、だったように思う。張り出されたその乗客募集の紙をひどく悲しそうな顔で、けれど諦めきれずに見つめていた男の横顔は、船内では見かけなかった。故郷はあるけれど里心は知らない私にとっては、いつもの旅だった。鞄をひとつ背負って、モンスターなんかを狩りながら、どこへいくでもなく。けれど気付けば一年が過ぎて、「いつもの旅」とは言い切れなくなってしまった。それは、良いこととも悪いこととも言えない。変わっていくことを楽しむのが旅だ、と思うことがある。留まらないことを旅と呼ぶ。それが好きだから、まだ遠い先の話かもしれないけれど、いつかは私はここを去るだろう。あのとき船に乗り損なった男が本当は何をしたかったのか、私は知っていると思う。

 

 空になったグラスの縁が、もうすぐ消える陽で輝いている。

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