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​謡う刃

 吟遊詩人であるその女が謡い終えて起こった拍手は、この日も控えめだった。この謁見の間に同席した、女と生業を同じくする男は固唾を飲んでそれを見ている。弦を弾く指が拙いわけでも声が悪いわけでもない。ただ彼女は悲劇ばかりを謡い、そして必ず最後の一文を聴衆への問いかけで結ぶ変わり者だった。

 あの少年はどうすべきだったのだろう? 彼女は最期に何を見たと思う? その島は今、どうなっているのでしょう? わたしたちのこれからは? 何故、あなたは───

 

 帝都エクサントルで詩を学ぶ以前の彼女を知るものはおらず、多くの弟子を抱える師匠やいつの日か帝室に招かれようと励む同輩たちも、いつも影のように佇む彼女を気に留めることはなかった。しかし、能力にこれといった不足はないが特筆すべきところもないという最終評価を受けて帝都を出た女は、少なからぬ同輩たちが己の限界または期待外れの見返りを目の当たりにして道を降りていくなか、詩人であり続けた。戦闘状態が続く南方王国との国境の町で謡い、西方に張り巡らされた異教徒の巡礼路で謡った。旅のなかで危険な目に遭ったのは一度や二度ではなく、異国では帝国人の身であることがしばしば苦難を招いたが、それでも女はどこへでも行き、どこででも謡った。そうしているうちに、市井の人々からの低調な評判と少ない稼ぎに反して同業者たちの間で彼女は噂となる。主な関心は女が旅人にとって必要不可欠と言える護衛を最小限の人数に抑え、時にはひとりも雇わずにいることへ向けられていたが、その他のあらゆる面でも彼女は謎に包まれていた。そうして旅を続けているうちに、その名は帝国領内の有力者の耳にも入るようになる。詩は退屈だが不思議な詩人がいる、と。

 

 帝国北部、コートフォート地方のある領主の城でその女が謡い終えて起こった拍手は、この日も控えめだった。しかし女に同席することを頼まれていた吟遊詩人の男だけは、彼女の詩や締めの問いを聞いて自分が呼ばれた理由に思い当たり、戦慄してただ黙っていることしか出来ずにいる。

 今日の最後の詩は、無垢で無力な村に訪れた侵略の炎と、それに抗い、しかし何も果たせず倒れていった人々を描いたもの。何故、あなたは、あのようなことを? 女の眼差しは、玉座の領主を捉え続けている。それは隠されてきた彼女自身の詩であり、怒りであり、疑問だった。これまで多くの場合、与えられるのはまばらな拍手といくらかの小銭だけに止まり、問いへの答えが返ってくることは滅多になかったが、女はそれ以上のものを求めようとはしなかった。しかし彼女は今、初めて明確に答えを求めている。幼い彼女からすべてを奪った者に、彼自身の命運を決める一節を謡わせようとしているのだった。

 

 

 その日、ある領主と数名の臣下、そしてひとりの吟遊詩人が命を落とした。その場からどうにか逃げおおせた男がその顛末を語ったことで、あの詩人の女を知る者たちは、強力な支援者を持たない彼女がどのようにして危険と隣り合わせの旅を切り抜けてきたのかという長年の疑問の答えを得た。

 後に彼女を謡った詩は最も有名な復讐劇のひとつとして帝国領内で広まり、その影響か駆け出しの詩人の間では最後に疑問を投げかける手法が一時流行した。しかしそれは例の主人公が客受けのよくない詩人であったことを重ねて証明するだけに終わり、すぐに廃れていくことになる。

 それはそうだろうと、あの血濡れの広間を生き延びた男は思う。ただ外から眺めている分には、誰かの悲劇が心を癒し、ときにはよろこばせることもあるだろう。だが、見知らぬ誰かの身に何故それが起きて、どうすれば防げたのか、などということをわざわざ考えたがる者はすくない。

 結局、それを仇敵だけでなく聴衆にも問い続けたあの詩人の信念がどこから来たものだったのかを本人の口から知る機会は永遠に失われてしまった。しかし領主からの返答を待つ彼女の横顔を見ていた男には、その目的がわかる気がしていた。おそらくただ、納得したかったのだ。村人たちの命、己を育てたもの、誰かにとって大切なものたちと引き換えるに足るような何かがこの世にはあり、すべては仕方のないことだったのだと。

 

(そして、それは失敗に終わった)

 

 男は自身の出世作となった『吟遊剣士』の詩を、問いで結ぶことはしなかった。ただ、彼は考えていた。あの女が納得出来るような答えが、はたしてこの世にあるだろうかと。

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