ナジン連邦、港町ホードウ《白い火亭》にて
ついに今日、私は東の果て、ナジン連邦に下り立った。ここに辿り着くまでのおよそ半年間の船上生活は、揺るぎない大地のうえに生きてきたこの私、シュナー・ボンドゥール一等魔道官にとっては言葉のとおり波乱の連続であった。戦闘魔道を修め、過去にはいくつかの戦いも経験してきたが、この船旅ほど私の命を脅かしたものはないと言っていいだろう。すでに《水燕の羽》の乗組員諸氏には実に貴重な経験を積ませてもらったこと、また無事に航海を完遂してくれたことへの感謝は述べたが、私の持つ言葉や金品でこの心のすべてを伝えられたかどうかは定かではない。とにもかくにも、彼らは驚くべき忍耐と熟達、勇敢の士である。彼らとの忘れがたい(そして避けようのない)冒険の数々は、後日、この異国の地で書き連ねていくことにしよう。
さて、私が遥か西の美しい祖国サンラステを後にしてこのホードウなる港町の奇妙な宿《白い火亭》に身を寄せているのは、もちろん一等魔道官としての任務のためである。通常、秘匿性の高い情報を扱う我々のような魔道官は、私的な文書として任務に関する事象を記録してはならない。それは規則というより伝統と誇りの問題であり、当然ながら私もその信奉者のひとりだ。しかし今回、私はその慣習を破らざるを得ない。何故なら、まさにそれこそが私に与えられた任務だからである。いったい誰が信じられるだろうか? 連合魔道院サンラステ支部長ルゥス殿は、ただ私に「連邦、王国、可能なら帝国を歩き、思うままに記録してこい」と申し付けたのだ。これはおそらく歴史上でも類を見ない、きわめて不可解な任務である。しかし私は歴とした西方貴族であると同時に職務に忠実な魔道官もであるから、成すべきことはひとつだと心得ている。もっとも、いかに己の発令した任務の内であるとはいえ、ここまでの内情を書き記すことをルゥス殿は承認しないかもしれないが。
さしあたって、明日はホードウの探索と情報収集に勤しむこととしよう。実のところ、見慣れない装飾の施された窓の向こうに広がる黄昏時の街の姿を見ると不思議と心が躍り、活力が湧いてくる。その衝動のままに今からでも外へ飛び出してゆきたいところではあるが、この深刻な肉体的な疲労を捨て置くわけにもいかない。本国では多少の疲れなどものともせずに夜を徹して魔道書を紐解くようなこともしていたが、無事に帰国した暁には、皆は仕事さえ切り上げて眠りにつく私に驚くことだろう。休めるときに休む、これも《水燕の羽》で学んだことのひとつである。