剣戟の波間で
「なんでお前だけ昇級なんだ……!」
ファルア王国きっての喧噪の地、傭兵街ブラスアートの安酒場《炎の蹄》、その薄汚れた食卓で男は頭を抱え項垂れていた。マグに注がれた、いつもは運ばれてきたそばから飲み干されてしまう黄金色の酒も未だ手付かずのまま残っている。それをせせら笑うように、彼の向かいに座る女が声をかけた。
「まあ、実力の差ってやつじゃないの、一等鉄さん?」
この店の定番であるミラド羊の焼き串を頬張る女の胸元には三本の傷が走った黒い翼の徽章が鈍く光っている。それは彼女がこの国の傭兵制度上、「鋼」の称号を受けており、その中で「三等」の階級にあることを示していた。一方の男の襟元には暗い青色の兜を象った徽章が縫い付けられている。こちらは傭兵としては最下級として扱われる「鉄」の称号の証である。彼の苦悩の原因は、まさにその差にあった。
「俺だって二人倒したってのに!」
「私がやったのは賞金首だったからね~」
「そんなのたまたまだろ? 今までの戦功にしたって大差ないんだ、こんな不公平が……」
「まあまあ、いいじゃない。そのおかげであんたはこうして私に奢ってもらえてるんだし。さあ、遠慮せず飲んで!」
”私は”これから報酬額も増えるから困ったら頼ってもいいよ、という勝ち誇った言葉にとどめを刺された男は観念したのか、乱暴にマグを掴むと一気に飲み干し、卓に叩きつける。
「今は笑ってるがいいさ……絶対! 次の依頼で並んでやるからな!」
もしこの場所がもうすこし品のある店であれば息巻く男の様子は目立ったはずだったが、ここは「鉄」の戦士が集う店である。能天気な笑顔か怒りの顔か、見渡せば周りも似たようなものばかりで、彼はその意味でも凡庸そのものであった。もっともそうした視点では女の方も同様であり、同期、同階級の仲間から一足先に昇級を果した傭兵が彼女のように振舞うのはこの街の日常風景のひとつと言える。
そして彼ら、彼女らのうちの何割かは遠からずこの地上から姿を消すことになる。この街で剣を帯びている者たちはたとえ駆け出しの身であってもそれを知っていた。しかし今夜騒がしい店の中で、消えるのは自分ではないと信じてもいる。何かうまい依頼は転がっていないものか、これからどんな勢力に自分を売り込もうか、彼らは己の腕で未来を掴もうとする傭兵たちだった。